幻肢痛:ないはずの足が痛いねん
足の切断手術を乗り越えた母は、義足と車椅子での新しい生活が始まりました。
それは、「幻肢痛」との戦いの始まりでした。
切断したはずの足がまだそこにあるように感じて、しかも痛むっていうやつです。
「ないはずの足が痒いんやけど、どうしたらええん?」とか
「足の指がズキズキ痛むわ」なんて言うもんだから、私も最初は戸惑いました。
医者に相談したら「幻肢痛ですね」って簡単に言われたけど、母にとっては簡単な話じゃないですよね。
「何もないところが痛いなんて、ほんまに訳わからんわ!」って母も苛立ちを隠せない様子でした。
医者からは「リハビリや薬で少しずつ楽になるはずです」って言われて、
母もそれを信じて毎日頑張っていましたが、特に夜になると幻肢痛がひどくなって、
寝るのもままならない日々が続いていたようです。
「どうしたらこの痛みがなくなるんやろな…」って母はポツリと言ってましたが、
私たち家族も答えが見つからず、ただ話を聞いてあげることしかできませんでした。
ちなみに、この幻肢痛は現在も続いています。
ずっと付き合っていかなければならないと母は半ば諦めているようです。
70代からの車椅子と義足生活:介護サービスに支えられて
70代にして義足と車椅子の生活を始めた母ですが、現実は思っていた以上に厳しいものでした。
透析に通いながら義足と車椅子での日々。
介護サービスを受けつつも、母にとっては不自由さや不安がつきまといます。
私たち家族もできるだけサポートしようとしていますが、介護にかかる負担は大きく、
何かと気持ちが重くなることが増えてきました。
介護サービスとの毎日
母は右足を切断してから、介護サービスを受けるようになりました。
最初は「これで少しは楽になるかな」と思ったのもつかの間、
介護サービスのスケジュールに合わせることが多くて、母は窮屈さを感じているようでした。
「自分の時間がなくなったみたいやわ」とつぶやくことも少なくありません。
スタッフの方々はとても親切にしてくれますが、やっぱり他人に頼るというのは、母にとっては辛いことのようでした。
特にお風呂の介助や着替えなど、自分でできていたことができなくなったことへの悔しさが強く、
「こんな姿、誰にも見られたくないわ」と悲しそうにしていました。
介護スタッフさんが励ましてくれることもありますが、「励まされる自分が情けないわ」と、
母がますます落ち込んでいました。
介護サービスがあるおかげでなんとか日々を過ごせていましたが、
その度に母の心の中には複雑な感情が渦巻いているようでした。
義足と車椅子の生活に苦戦
義足をつけてのリハビリも、想像以上に大変でした。「これで歩けるようになるかも」と期待していたものの、
実際には義足をうまく扱えず、何度も転んでしまう母を見て、家族としてもやるせない気持ちになりました。
「歩きたいのに歩けない」という現実に、母も私たちも何度も打ちひしがれました。
車椅子も、思うように動けるようになるまでには時間がかかりましたし、
結局近所でさえも出かけることが出来るようにはなりませんでした。
それでも、母は家の中だけでも、「せめて自分のことは自分でやりたい」と、
簡単な家事は車椅子で頑張っていました。
思うように動けないたびに「こんなはずじゃなかったのに」と言葉を漏らしていました。
私たちも何とも言えない気持ちになりました。
母自身が一番もどかしくて、そして私たち家族もどうすればいいのか手探りの日々でした。
介護疲れと将来への不安
介護スタッフがいてくれるとはいえ、父をはじめ、家族も母のことを放っておけず、毎日が気疲れの連続でした。
介護サービスの時間以外は、父が母の世話をしていましたが、その負担は正直、楽ではなかったようです。
私も父をもっとサポートしてあげれていたら良かったですが、父が元気なこともあり、任せっきりでした。
母も「私のせいで家族に迷惑かけてる」と言いますが、それを聞くたびに「そんなことないよ」とは言いながらも、
内心ではどうしても心の重さを感じてしまいました。
「もうこれ以上家族に負担かけたくないわ」と母が言う時は、今でも本当にどうしたらいいのか分からなかったです。
70代からの義足・車椅子生活
足を切断して退院してからの生活は、思っていたよりもずっと厳しいものでした。
義足と車椅子の生活に、介護サービスがあっても、決して楽ではない毎日。
母も私たち家族も、どこか先の見えない不安と戦い続けていました。
母が感じていた孤独や不安を少しでも和らげられてあげることが、
私たち家族に出来る唯一のことだったのかもしれません。